創業5年、成長痛
僕が創業日当日にブログを書くことは、あまりない。
気分が乗ったときに書きたいからだ。
普段は納期に追われているけれど、社長ブログだけは俺の自由だ! という謎の意地なのか何なのか、いつも、敢あえて少し遅らせて書く。
さて、投稿が遅れた言い訳はこれくらいにして、内容に入ろうと思う。
創業5年、成長痛
15日前の2月1日で、創業して5年。今年は色々あった。
結論からいうと、会社の成長に自分達がキャップをはめてしまったイメージだ。
そして結果的には、それは良くなかったと思っていて、反省と消化ができたからこそ、今ようやく適切な成長フェーズを迎えているように思う。
当たり前だけど、会社の成長には投資が必要だ。
でも、黒字正義のビジネスモデルを行う中で、一定の投資が必要な成長を、僕が許容できなかった。頭では、投資とコストを切り分けていて、投資に対しては時間軸がズレるリターンを求めてはいた。だから、冷静に投資は投資だと割り切って良かった。でも、心の、なんとなくの短い時間軸のP/Lが、それを許容できなかったのだ。
だから、滑走路のジャンプ台手前で、ブレーキをかけた。
もし、ジャンプしていたら、今はもっと遠くにいたのかもしれない。でも、骨折してた可能性もある。問題だったのは、ブレーキをかけたことではなく、僕がその先の未来を、具体的にイメージできていなかったことにある。その状態では、飛んでも飛ばなくてもダメだ。事業計画の甘さに尽きる。
やはり、どんな小さい会社にも、社長にしか見えない世界は存在する。それは多分スピリチュアル的な話ではなく、営業・開発・財務・調達などの全業務に毎日密接に関わっていないと感じることができない事業への手触り感みたいなものがある、という話なのだと思う。
で、そこに対して、まず、真摯に向き合い続けることは前提として、自分の中でのビジョンとすり合わせを行い、手触り感をクリアにした上で、自分以外の人間と対話を繰り返し納得してもらい、その感覚を自分を通して感じてもらうことが重要だ。
きっと、そこでやるべきなのは、意見の寄せ集めによる合意形成ではなく、方針の説明と理解浸透なのだ。
仮に意見を聞くとしても、一度自分で咀嚼をして、決定をし、己のビジョンに統合させてから、改めて伝えるべきなのかもしれない。
社長は孤独とよくいうが、そういう意味では僕は孤独になり切れていなかったのだろう。結果として、尖らせるべきナイフが、鈍くなった。組織には役割があって、それぞれの立場の中で、必死に頑張っている。その人を理解し、適したコミュニケーションを行う。それは諦めではなく、理解と敬意だ。
それを体験をもって理解した今、改めて会社が成長の軌道に向かうのだ。
いい経験だったし、貴重な機会だった。
社員にはいつもワンパンマンみたいな社長を見せられなくて申し訳ない、
七転び八起き的な感じでいつも反省の繰り返しだけど、成長は、約束する。
そういえば、昨年、唯一見た映画、「ひゃくえむ」の中で、財津選手は生徒に語っていた。
「不安は対処すべきではない。人生は常に失う可能性に満ちている。
そこに命の醍醐味があります。
恐怖は不快ではない、安全は愉快ではない。不安とは、君自身が君を試すときの感情だ。
栄光を前に対価を差し出さなければならないとき、ちっぽけな才能の寄せ集めの人生なんてくれてやればいい。」
結局、成長し続けたい、山があったら登りたいと思う以上、安定はない。
そもそも、人は生きている時点でエネルギーの勾配を生んでいる。僕は必ずいつか死んで、作られた勾配は、物理法則に従って無に帰る。
その中で、もし合理性を求めるのなら、何もしない人生が一番いいに決まってる。
でも、自分には熱量が存在してしまっているし、無駄に何かに影響を与えることができてしまう。
喜びに対する悲しみや、絶頂に対する絶望が、一つの波の反動だったとしても、それでも振動を起こしたくなってしまう。
苦しい、だから楽しい。
しんどい、だから熱くなれる。
元々矛盾の中で生きているのだから、この接続詞にも納得がいく。
結局、僕は、無から起こす変化が好きであって、新しい事業やテクノロジーが好きだ。その他の困難は、余韻だ。
変化は起こすべきであって、不安は向き合い続けるべきなのだ。
当たり前を、当たり前にしたい。新しい事業をやるときはワンチームであるべきだし、ソフトウェア開発は早い方が良いに決まってる。ソフトウェアも、改善・開発の回数を繰り返せば当然のごとく成長する。なのに、こんな当たり前のことが、まだ実現していない社会がある。だったら、それをやろう。
そういう視点で見ると、世界は仮設検証が足りていない事業に満ちている。市場があるのに、ニーズがなかった?事業として難しかった?それって、PDCAが足りてないだけじゃない?的な。
結局、成長に対して最も相関する変数は回数だ。
「好きこそ物の上手なれ」は、話が飛躍している。好きだから繰り返すことができ、繰り返すから上手になる、だ。この回数を楽しもうが苦しもうがどうでもいい。回数やれ、だ。ネテロの正拳突きのように。
日々頑張ってくれているメンバーへ
山道は、険しいかもしれないし、何度も戻ったり進んだりを繰り返すかもしれない。新しいテクノロジーを使っているからといって成功できるような、そんな甘い世界じゃない。
でも、僕たちが取り組む課題には、社会的意義がある。
何度でも、ここに立ち返ろう。
俺らなら、できる!
営業はもしかしたら、このムーブを僕の近くで感じているかも知れないけど、最近ちょっと潮目が変わったよね。
新規事業は当然にやり続けるけど、AIトランスフォーメーションってAIの知識は当然として、爆速開発による仮説検証が何より必要でしょ。
うちの他に、どこがそれできるんだっけ。ベンチャーは大企業の経験ないし、生成AI屋は実装できないし、コンサルはご意見版だし、SIerはtoo matchでしょ?わかってるじゃん。だったら、やろう!俺らにしかできない。困難があれば、笑ってやろう。
以下は、月1で必読!
忙しいと、忘れちゃうからね。
アジャイルソフトウェア開発宣言(リンク🔗)
私たちは、ソフトウェア開発の実践 あるいは実践を手助けをする活動を通じて、 よりよい開発方法を見つけだそうとしている。 この活動を通して、私たちは以下の価値に至った。
プロセスやツールよりも個人と対話を、 包括的なドキュメントよりも動くソフトウェアを、 契約交渉よりも顧客との協調を、 計画に従うことよりも変化への対応を、
価値とする。すなわち、左記のことがらに価値があることを 認めながらも、私たちは右記のことがらにより価値をおく。
アジャイル宣言の背後にある原則(リンク)
私たちは以下の原則に従う:
顧客満足を最優先し、 価値のあるソフトウェアを早く継続的に提供します。
要求の変更はたとえ開発の後期であっても歓迎します。 変化を味方につけることによって、お客様の競争力を引き上げます。
動くソフトウェアを、2-3週間から2-3ヶ月という できるだけ短い時間間隔でリリースします。
ビジネス側の人と開発者は、プロジェクトを通して 日々一緒に働かなければなりません。
意欲に満ちた人々を集めてプロジェクトを構成します。 環境と支援を与え仕事が無事終わるまで彼らを信頼します。
情報を伝えるもっとも効率的で効果的な方法は フェイス・トゥ・フェイスで話をすることです。
動くソフトウェアこそが進捗の最も重要な尺度です。
アジャイル・プロセスは持続可能な開発を促進します。 一定のペースを継続的に維持できるようにしなければなりません。
技術的卓越性と優れた設計に対する 不断の注意が機敏さを高めます。
シンプルさ(ムダなく作れる量を最大限にすること)が本質です。
最良のアーキテクチャ・要求・設計は、 自己組織的なチームから生み出されます。
チームがもっと効率を高めることができるかを定期的に振り返り、 それに基づいて自分たちのやり方を最適に調整します。
バクソクは、AIトランフォーメーションへの準備だ
さて、ここから先は、少し、事業について触れてこうと思う。
何度か、メンバーには軽く表面的に触れているが、しっかりと考えを、時間をとって伝えたいので、ブログに綴る。
口頭だと理解されずに飽きられてしまうが、ブログであれば飽きて閉じられても僕は気づかない。
既にAIのアルゴリズムに関する決着はついたように思う。
結局は、一時的には単純パーセプトロン時代に批判を受けていた人間の脳を模したニューラルネットが、2017年のGoogleの論文の通りに成長したわけである。パラメータが15億程度だったgpt-2(2019年)から、たった5年で1,000倍になり、能力も指数関数的に上がり、そして、シンギュラリティに迫ってきた。
gpt-3やgpt-4は出た時には、日本は大騒ぎになったが、gpt-5が出たときには、そこまでのショックは起きなかった。これは、多くの人間がテキスト出力上でgpt-5に超えられた瞬間だったと思う。おそらく、自分の脳みそがボトルネックになり、成長が認知できなくなった。
とはいえ、まだまだAIが自分の知能を表現できる空間には限界がある。その点で、レイ・カーツワイルの「The Singularity Is Nearer: When We Merge with AI」(2024年)を引用したい。なお、シンギュラリティという言葉は、レイ・カーツワイルが「The Singularity Is Near」(2005年)の中で2045年にシンギュラリティが来ると予言してから流行った言葉だ。以降、AIが人知を超える特異点のことを表現する言葉として、人々に受け入れられた。
その20年後にレイ・カーツワイルは、「The Singularity Is Nearer: When We Merge with AI」の中で、"2029年頃に大脳新皮質がAIにつながる"と語った。人間の倫理の判断によって、2030年代にずれ込むとしても、その時代は来ると。
カサンドラ:あなたは、二〇三〇年代のはじめには、脳の中に入りこみ、大脳新皮質の表面の層に接続する手段を見つけると考えています。その目的は、人間の脳で何か起きているのかを知り、脳と外部との接続を活発にするためですね。
カーツワイル:そうです。
カサンドラ:そして、私たちがつくろうとしているその超知能は、少なくともクラウドへの接続を通じて私たちの脳の一部になると。
カーツワイル:はい。
(シンギュラリティはより近く, レイ・カーツワイル, 高橋 則明=訳, NHK出版, 2024, P.394)
なお、人間の脳の中でも、対象はごくわずか。必要最小限のニューロンに接続すれば良い。なぜなら、例えば臓器への無意識制御など、AIが拡張すべき知能以外の脳の機能には、接続する必要がないからである。
とはいえ、頭骸骨に穴を開ける必要があり、人間の倫理観・道徳感から、この接続は遅れる可能性はあるのだが、実現すると明確に語っているのが面白い。
確かに、例えば脳に障害を抱える患者の治療など、医学的意義があり、リスクが研究の中で排除されていれば、人類はその扉を開く可能性が高いと思う。そして、仮に治療に用いられた技術だったとしても、一度クラウドにアクセスしてしまえば、人の能力を超えていくその体験は、単にクラウド上の処理能力を、ボタンひとつで上げれば良い(ChatGPTの使用モデルを切り替えるかのごとく、何の抵抗もないはずだ)。モデルが変わり、通信先の情報量が増えても、脳への電気信号の強弱が変わるわけではないからだ。
近年、ロボティクスAIが注目されているが、僕としては、ONE PIECEのエッグヘッド編に登場する天才科学者Dr.ベガパンクの方がシンギュラリティの姿としてはしっくりきた。(とはいえ、シンギュラリティそのものの理解はできない。それは、おそらく10次元空間を瞬間的に理解し表現できるに等しいことだと思うからだ。)
だから、脳みそのごく一部をクラウドに接続するような未来は現実的であり、この本を読んだときに、それが最適解だと感じた。
(ONE PIECEの中では、悪魔の実「ノミノミの実」を食べた科学者がそのレベルに到達するが、脳がAIと接続できるのであれば、本人そのものが賢い必要はない。悪魔の実は必要ない。)
いずれにしても、人はもう馬に乗って移動しない。刀を振りかざして国を制圧しようとしないし、巨大な電話も持ち運ばない。産業革命で起きたラッダイト運動がAIでも起こる可能性は十分にあるのだが、それでもテクノロジーの発展は止まらない。
そして、長期的に見れば、社会問題は減少し、人の生活は豊かになっていく。
一人当たりのGDPは増え続けているし、テクノロジーは、SNSが無料であるように、金額換算されない価値を社会に創造するから、人の生活は、実質、一人当たりのGDP以上に豊かになっていく。
歴史はどの長さで見るのかによって解釈が変わるから、反対運動をする人を否定はしないし、色んな意見があって良いと思うが、シンギュラリティは、来る。そして、現実の僕たちの生活は、テクノロジーの進化のおかげで、ほぼ全ての面で良くなっていく。AIは全産業に影響をもたらす。
この観点において疑問がある方は、是非「シンギュラリティはより近く」(レイ・カーツワイル, 高橋 則明=訳, NHK出版, 2024)もしくは、「テクノロジーの世界経済史」(カール・B・フレイ, 村井 章子,大野=訳, 日経BP, 2020)を一読願いたい。
さて、ここで、僕が強調しておきたいのは、AIと、人間の”意思”は、全くの別物だということだ。
よく、人間がAIに置き換わることに対する恐怖を語る人がいるが、AI(をニューラルネットワークだとするならば)は簡単にいうとベクトルの近似値を出力する反応であって、意思(=ベクトルそのもの)ではない。
さらにいえば、今流行っている生成AIも、文脈(画像・音声も同じく、抽象的にいうならばベクトル)のパターン認知を出力しているにすぎず、常識・文化・芸術、例えば社会的相互作用を理解しているわけではない。
だから、人間は、デスキリングとアップスキリングを繰り返し、そして、シンギュラリティ以後においても、その世界で叶えられる意思を持つ。よって、新しい産業は生まれていく。ゆえに、おそらく、とても短い期間の間に、あらゆるビジネスモデルは、大きな転換期を迎える。
僕は、その時代の波に乗りたいのだ。そこにBETしている。
最近、よく、AI情報屋が、SNSを騒がせていて、その中には、ニューラルネックワークがどう動いているのかも知らない者も多く、AIを客観的に見ることができない。(最近僕のアカウントも検証がしたく、ほとんどAIで動いているので、AI情報屋のようになってしまい、申し訳ない。しばらく放置したら止めます。)僕がここで言っているのは、そういう表面的な、AIツールのアップデートによる作業効率化や省人化ではなくて、AIの本質的な成長の理解とその発展によって、あらゆる業界が変わる分岐点が迫っているということだ。
そしてその瞬間に、産業を変えるのは人間であり、自分でありたいということだ。
で、
長くなったが、この前提を踏まえて、僕たちの在り方について軽く説明したい。
これまでの話を、日本の中で、と考えると、(ベンチャーを経営する僕がいうのもあれだが)おそらくはスタートアップではなく、長寿企業・大企業がそのイニシアチブを握っていくと考えている。しかし、彼らだけではその分岐点に立たされたとき、おそらくAIを客観的に見て、成長を予測し、そして戦略に落とし込むことは困難だと考えている。これは、技術を深く理解できていないコンサルタントにも難しい。そこに僕たちの存在意義がある。
僕が普段会社の中で行っているのは、開発をより効率良くスピーディに回すことで、大企業の新規事業に活用されることが多い。
この概念を切り口にして、AX(AIトランスフォーメーション)を実現する機能を各長寿企業・大企業に作っていきたいと考えている。
なぜなら、これまでのIT部門・DX部門と異なり、ここで必要とされるのは、「超速で成長し続けるAIを、常に知り、吸収し続ける組織」であり、学び続ける知性と、高速アジャイルの文化・体勢が必要になるからだ。AIを常に学び、戦略に活かす部隊と、PoCやMVPを切り分け、セキュリティ基準を”適切に”下げ、高速で仮設検証が回っていく体勢を作ることが重要である。その枠組みは「超速」大前提で、これまでとは全く異なるゲームをする必要があるのだから、カルチャーも、人事制度も、基盤も、本来は作り替えなければならない。
現時点では、AIはまだ人間の脳みそで理解な範疇にあり、よってAXによる企業戦略も、省人化・効率化の域を出ない。できても、AIを活用した新規事業創出くらいだ。でも現時点ではそれでいい。とにかく、それでもできることがあるなら、準備せよ、だ。その準備は、この5年, 10年先に、大きく真価を発揮することになる。その準備があるのとないのとでは、全く違う。
シンギュラリティで何が起こるのか、どのような世界になるのか、どう産業が変わるのかは分からない。それは、今の、脳みそ1.0では想像ができないからだ。先ほど述べたように、僕たちは、10,000次元空間どころか、たった10次元の空間ですら、理解も想像もできない。
しかし、その世界は時間の問題であり、そこに対してどう準備できているのかが重要だ。
産業革命時に、手織りで布を作る職人に、職がなくなるのは仕方がない。でも、何が起こるか分からないからといって、水力紡績機や蒸気機関を動力源とする機械の普及を静観してはいけなかったはずだ。産業革命以後の世界でも戦える準備が必要だったということだ。
そして今、改めて、技術のあらゆるアップデートを吸収する機能と、変革をする準備をしていってほしい。シンギュラリティを目前にして、今改めて、僕たちに問われているのは、準備である。今できることがある。
それを、僕たちが手助けしていくのだ。これから、そういう戦いをしていく。
まずは、業務効率化でも、省人化でも、スキル伝承でも、なんでも良い。
その取り組みが、将来の顧客の命綱になる。
とにかく、共に時代を変えていければ、それほど嬉しいことはない。
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