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社長ブログ

創業3周年。結果何もやれてない

2024年2月1日、経営をし始めて3年が経過した。

今から3年前の2021年2月1日、僕と長谷川は株式会社Biz Freakを創業した。

まずは朝イチで法務局に行こう!と朝から仙台の広瀬通りと東二番丁通りの交差点にあるマックに集まった。

長谷川がホチキスを忘れて、コンビニで経費で買ったことに苛立った朝だったのを覚えている。

会社名の最終候補は、長谷川が出した「Biz Freak」か、僕が出した「Napier(ネイピア数。オイラーの等式のように、複雑にからまった紐を指一本でほどく魔法のような存在になろう)」か「チキンライス(チキン野郎の集りでも世界を変えられる)」だった。

俺たちって、天才じゃないじゃん。だったらもうイカれたように仕事しようぜ。バカでも努力で世界変えようぜ。「Biz Freak(ビジネスに熱狂する)」にしよう。そんな感じで決まった会社名だった。このとき、同じ意味合いで出したチキンライスにしなくてよかったと、今では思っている。Napier(ネイピア数)は、何度説明しても長谷川には伝わらなかった。

「もっとフリークしようぜ。」とか「あいつはフリークしてる。」という言葉が、今では定着しつつあるので、(後日シリコンバレーの投資家には社名をディスられるが)まあ良かったんじゃないかと思っている。

そして、なぜか僕らには共通した思いがあった。

いつも、どんな些細なことでも常に議論していたが、

「誰もが今に熱狂する世界を創る。」

このメッセージについて、僕は即決し、長谷川は頷いた。

さて、次は、何をするかだ。ここにおいても、僕たちは"明確な答え"を持っていた。

「テクノロジーを活用して、提供価値を生み出そう。」

そう、ここにおいては、"明確な答え" の基準が限りなく浅かった。

なぜこれでイケると思っていたのか、今思うと不思議だ。

「で、何するんだったっけ。」

この日を境に、100回くらいこの疑問に立ち戻ることになる。


ここから、僕たちはシステム受託を始めた。初めはエンジニアなど社内にいなかったので、僕が開発を行っていた。AIについてはある程度の知見や実装経験を持っていたが、Webをしっかりと学んだのはこの時が初めてだったかもしれない。しかし、それがきっかけで、今の新規事業特化型の、独自のアジャイル開発体制を築いていくことになるのだ。

「今のテクノロジーをフル活用してさ、俺一人で、最も効率よく開発を行うとしたらどうしたら良い?」

それは、人がいないからこそ生まれる問いだった。

そこから、(会社にいるメンバーには申し訳ない話だが、)リソースが枯渇するたびに、僕らは成長を重ねてきたように思う。


程なくして、CTOの高橋が入社した。

彼は、僕が前にいたベンチャーで一緒に働いたことがあり、若いが馬力があった。学ぶ力が飛び抜けていた。

予想通り、彼は入社してすぐに、僕が思う理想の開発プロセスをトレースし、すぐに上回った。数週間の出来事だった。

僕は「これからは営業を忘れて、エンジニアになる」という、前月に下した大きな意思決定を即座に忘れ、すぐに営業に戻ることにした。

そこから、僕たちは1年かけて、外部委託をせずに、3人でどこまで案件をこなせるか、という勝負を始めてみた。生成AIやPaaSを活用し、どこまで開発を効率よくこなせるか、実験してみようと。それは、個々人への負荷はもちろんあったが、必要なプロセスだったように思う。

本当にタイミングよく、PaaSが流行り、そして、これまたタイミングよくOpenAIがChatGPTで世界をひっくり返し、生成AI市場がブチ上がった。

僕たちはそんな傍で、小さく、3人で、1億円の売上を計上した。

そこから、徐々に噂を聞きつけ、人が集まってくるようになっていった。


そんなこんなで創業した会社が、今年、4年目を迎えた。

1年ほどの迷走期間を経て、

新規事業に特化して、唯一無二のバリューを出せる会社を創る、と決め、

開発を爆速で進め、新しいテクノロジーにいち早くリーチさせる会社にしようと決めた。

早く作る工程においては既存のツールをハックしよう。その代わり、AIにおいてはアルゴリズムベースで理解しよう。

新規事業のコンサルをやっている人たちは、僕らと違って頭が良い。

でもリスクを取らないから、開発はしないらしい。

じゃあ僕らは、開発を主軸におこう。

レベルの高いエンジニアを集め、僕たちで、アジャイル開発を再定義しよう。

そんな発想のもとで、3年間、必死に提供価値を磨いてきた。

ハックしたツールでは国内No.1の評価を取り、AIにおいてブラックボックスは無くなった。大手企業からの依頼がほとんどを占めるようになり、SIerが取るような大規模案件の依頼も増えてきた。今ではコンペ相手が誰もが知る大手SIerやコンサルでも、何とも思わない。売上においては毎年掲げた数字を達成してきたし、創業当初は無謀に思えた、売上5億・純利益1億も、無謀ではないのかな、と思う程度のハードルに思えてきている。

そしてこれからは、ただ提供価値を向上して、売上を達成するだけではなく、ディープラーニングをフルに活用して、アジャイル開発の回し方自体を再考して効率化していく。本当に、アジャイル開発そのものの再定義を行っていこう、というフェーズに入っていくのだ。


ーこう書けば、見栄えは良い。

「それで、お前はその景色を変えたのかよ。」

最近よく思い出す言葉だ。

これは、早稲田でラグビーをやっていたときに先輩から言われたものである。

練習に、良い緊張感がなく悲壮感が漂い、今年は優勝できないのかもしれない、そんな雰囲気を感じて先輩に相談したときに、返ってきた一言だった。

お前一人変われば、世界が変わるんじゃねぇのかよ。

世界がそのままなのは、お前の責任だろ。

そして、僕は大学4年になり、その意味を理解した。

チームを日本一にするのは、歴史や伝統ではない。

今そこで、グラウンドに立っているやつの中の何人が、どれだけ深く、世界を変えようとしているかの、総和でしかないのだ。

それ以外の変数は存在しない。

勝手に勝利に導いてくれる"誰か"は、そもそも存在しないのだ。また、その逆も同じである。例えば、負けた理由を組織のせいにしたこともあった。しかし、組織の中で立場が上がるにつれて、僕は、ずっと存在すると勝手に思い込んでいた、"文句をつける対象"のはずだった"組織"や"誰か"が、そもそも存在しないことに気付いていくのだった。

それは、自分がその構成要素であるということを忘れ、気づかずに自分で自分の影響範囲を限定し、そしてその範囲外と勝手に決めつけた環境に対して、文句を垂れていただけに過ぎなかった。

僕は謂わゆる、"ホンモノ" ではなかったのだ。

忘れられない体験を通して理解したはずなのに、また、卒業して10年も経って、同じ問いが僕に突き刺さってくるのだ。

「それで、お前はその景色を変えたのかよ。」

僕はまだ何もできていない。

  • 日々、一緒に働いてくれるメンバーを、勝たせることができたのか?
  • 本当に、唯一無二の提供価値を出せていると言い切れるのか?
  • 日々応援してくれる人たちに、恩を返せているのか?

    全てNOだ。

そして、何より、

  • 僕たちはまだ、世界を変えていない。

という事実だけがそこにある。

本当にこの3年間、一瞬だった。きっと次の3年も一瞬なんだろう。

定性・定量の全てに、期日を持って活動していく。

  • メンバーを、勝たせる。
  • 唯一無二の提供価値を出す。
  • 日々応援してくれた人たちに、恩を返す。

たったこれだけのことを、きちんと実行していこう。

3年経って、何もできていませんでした、じゃ、そもそも話にならない。

しかし、現状はそれが事実なのである。

それが今の実力だ。

であればその事実とちゃんと向き合って、一つ一つ解決して、階段を登っていくしかないのだ。

「誰もが今に熱狂する世界を創る。」

創業時に、掲げたコンセプトが、こんなにも自分を追い詰めるとは思わなかった。

伝統あるスポーツチームが、勝手に優勝するわけではないのと同じように、創業して時間が経ったからといって、掲げたビジョンが勝手に達成されるわけじゃない。

毎年、そこにいる人間が、重圧のなかで、ベクトルを自分に向けて、一つずつ、必死に積み重ねていくほかないのだ。

世界を変えていくことができるのは、僕たちしかいないのだ。

そういった当事者意識を、何人が、どこまで持てるか。僕たちはそういう戦いをしている。

シンプルにいえば、やり切る。

ただ、それだけの話だ。


最後に、会社のみんなへ。もっともっと、Freakしようぜ。絶対勝てるから。

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